西暦1600年、有名な関が原の戦いが起こる。
この時に、戦乱に乗じて伊予でも河野家の残党がお家復興ののろしを上げて決起している。
その残党の武将の中に「正岡休意」という名前があるそうで、これを正岡経政公と推測する郷土史家もいる。

(自称であろうが)「休意」とは変わった名前である。経政公の法名は「一心」とも「一直」とも言われ。
これは、時の僧侶が付けたものであろうが、「休意」の名前とどこが相通ずる雰囲気を感じる。



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