この湯山家は寛文(かんぶん)年間(1660年頃)に、現在の今治市菊間町の柚山(ゆやま)家から分家して中村地区に移り住んできたと言われている。
その引越しの様子は
「先頭の荷駄が中村の屋敷に着いた時、最後尾のそれは、まだはるか彼方にあった」と、土地の古老に、今に語り継がれている。


1670年ころに同家から寺に仏像が奉納され、今に祀られている。
三百年も前のそれとしては実に秀逸で、上の伝承とも併せ、同家の富裕振りを推し量ることができる。


湯山家から奉納された地蔵菩薩


往時の名家は、分家すると「姓」の一字を変える習慣があり。
中村の湯山家も、本家の「柚」を「湯」に変えたものと思われる。
また、この柚山家をさらに戦国時代まで遡ると、因島村上氏の重臣 弓山(ゆやま)氏に当るとも言われている。

16世紀の後半の寺の引き上げも、国田屋別宮家とこの湯山家の合力あって、始めてなし得た大事業であったと推測される。



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